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湘南エリアでYOGAを伝えているriaのつれづれ

how about you?

友人にけっこう悪口を言う人がいる。

その人にとっては悪口が愛情の裏返しみたいなところがあって、 
悪口っていってもブラックジョークみたいなノリで言うので
その人の癖のひとつ、と思って聞き流すことが多い。
ただ悪口がずっと続くことが時々あって、その時はさすがに辟易して話題を変える。

あるとき。
また悪口が始まって、別の友人がその友人に『愛でしょ、愛!』ってたしなめていた。
友人はバツが悪そうに口を閉じた。

わたしはその時、何か違和感を感じていた。
それが何なのかずっと分からなかったのだけれど、最近気づいたことがある。

たしなめた友人はめったに人の悪口を言わない人だ。
言っても、本人でさえ悪口を言っているとは思わない言い方で表現する。
でも何となく腑に落ちなくて、、、後から、ああ結局相手を否定してるんじゃんね。。。
それって結局悪口なんじゃ?と思ったことが何度かある。

よく悪口を言う友人をその人が『愛でしょ、愛!』ってたしなめたときに感じた違和感。
それって、悪口を言ってしまう友人を拒否、否定してることにならないだろうか。

もちろん、ずっと悪口を聞いているのは気分が悪いし、イヤだし、その場に居たくないし、近寄りたくない。
でも、たしなめることで友人の悪いクセを直そうとしているのなら、 何故その人が悪口を言ってしまうのか、
そこに踏み込んでいかないと直らないと思うし、友人は苦しいままだと思うんだ。

『愛でしょ、愛!』ってたしなめることが、その人の愛から始まっていると思うんだけど、
その言葉が意に反して友人を傷つけているような気がしてならないのだ。

つい口にしてしまう悪口。他人には悪口に聞こえるけれど、友人の世界ではそう感じ、思ってしまったことだから、
友人にとって、それは紛れもない真実なんだよね。

友人が感じた、思った、友人の中の真実が『愛でしょ、愛!』のパッと見、良い言葉で、実は頭から否定されてしまっている=友人を否定してしまっているんじゃないか。
たしなめられて口をつぐむけれど、友人の心の中には思いが渦巻いていて、解決にはなっていないんじゃないか。
言葉に出来ないから、かえって苦しみが増えているんじゃないか。

たしなめられる→ああまた悪口言っちゃった、ダメな自分だ→自己否定、自己嫌悪→ネガティブな思いが増えていく→悪口言っちゃう→たしなめられる…の無限ループに入っちゃう。

だって友人はそう感じちゃったんだもの。そう思っちゃったんだもの。
その深いところに、友人を縛る強烈な固定概念があると思うんだ。 

もし、本当に友人の悪口を言うクセを直したいのならば、『なんでそんな風に思うの?』と問いかけ続けることで、友人も何かに気づくかもしれないし、そうしたら悪口も少なくなるような気がする。


今度、そんな場面になったら友人に問うてみようと思う。