『パンッ!と手を叩く。さあ、鳴ったのは右の手か?左の手か?』
2014年2月12日朝現在、得た答え。
右の手も、左の手も鳴っていない。
鳴っているのは空気である。
両手が勢い良く合わさった強い振動が『音』として知覚される
自分はきっかけを作ることが出来る
手を叩く、という意思を持ち、それを実行することが出来る『力』がある
その結果、『音』が出るのは自分の力、自我の力ではない。
大気が在るから音がでる。
大気がある状態、というのは自分、自我でつくり出すことは出来ない。
音が出ない無音とは、大気が全く振動しない状態のことで
それも自分で、自我でつくり出すことは出来ない。
すなわち、意識を向けたり行動する力
過去の経験からこうなるであろうという推測を信じる力を私たちは持ち
その結果をつくり出すことは出来ない。
結果は自然が生み出す。
補足。シャワーしてたら浮かんだこと。
手を叩くという行為で発生した振動を私たちは『音』として感知するが
もし私たちがその種の振動、エネルギーを別の何か、
例えば『熱』として感知する能力を有している場合は、
鳴りさえもしないな。
手を叩く、音が鳴る、そのことさえ実は私たちの大いなる錯覚なのだ。
答えはきっと変化していく
その時どんな自分でどんな答えを得ているのか楽しみ。