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湘南エリアでYOGAを伝えているriaのつれづれ

本当の自分、幸せについて。

昔はこんなに痩せてて可愛かったの〜
昔はこれでもモテてモテてね…

昔話をする人がいます。
聞いていて気持ちの良い昔話と、そうでない昔話がある。

その違いは、その人が『今』幸せであるかどうか。


太ってしまった今の私は本当の私じゃないの。
 痩せてキレイになったら、あの人も振り向いてくれるかもしれない。
痩せてキレイになったら幸せになれる。

マジっすか?

『本当の自分』は今、現在ここに在る自分じゃないと。

それってめっちゃくちゃ自己否定だ。

辛いこと、苦しいこと、ストレスフルな生活で
ついつい食べ過ぎてしまった自分
ついつい運動不足になってしまった自分
そんな自分があって、今の自分がいる。
でもそんな自分の姿は本当の自分じゃないと。

苦しくても辛くても一生懸命生きてきて
『今』も一生懸命生きているこの瞬間の自分が
本当の自分であるはずだ。

いつかこうなったら、本当の自分。
いつかこうなったら、幸せになれるはず。

そう思っているのであれば、『理想とする自分、幸せな状態』は
永遠に訪れないだろう。
その“いつか”は絶対に訪れないだろう。
保証する。

なぜなら、今どんな状況にあっても
そんな自分を許し、愛し、幸せに感じることが出来ないのなら 
そんな自分であるのなら
 これから先もずっと、どんな状況になっても幸せを感じないだろう。


状況や環境のせいにして。
自分で選択し続けた結果なのに。

もっともっとと貪り
今の自分は違うと嫌悪する。
 
そう言い続けるのだろう。

幸福に満ち足りた自分には決してなれないだろう。 

何故なら、幸せは誰かが持って来てくれるものではなく
誰かが与えてくれるものでもなく、ましてやカタチでも環境でもなく
自分自身が感じるものだからだ。


ある事を誰かが教えてくれたり、話したりする。
または何か出来事が起こる。
その事を嬉しく幸せに思うか、何とも感じないか、または不幸に思うかは
自分次第だ。


幸せはいつも自分の中に在る。 


昔は痩せて可愛かったけど、苦しいこと辛いことあって
過食しちゃって太っちゃった自分も、よく頑張ってるし愛おしいよ。

そんな風に思ったらそれは、
苦しいことや辛いことを悪いことと囚われず
ネガティブな感情も押し込めずきちんと感じていることだから
もう、そのことに振り回されず
蓋をした感情のはけ口に過食に走ることもなく
 幸せな自分になるだろう。


幸せや、自分の価値を外側に求める人は
永遠に満足することはないだろう。

なぜならば、この世界では、全てが変化していくものだし、
そもそも、外側に幸せは存在しないからだ。


目標や理想、夢を持って感謝と共にワクワク生きることと、
今を全否定しての目標や夢への努力は全く違う。



今実家にいて、いろいろ思うところがあり
ちょっとグルグル鬱鬱するときもあり

そんな時、実家近くのある場所から写真の光景を見たときに
ああ、私は幸せだな〜幸せなんだな〜
いつも守られてるな〜とても恵まれちゃってるんだな〜

そんな思いがぐわ〜っと沸き上がって来て
笑いながら号泣してしまいました。

ありがとう、ありがとう、ありがとう。
どうも在り難う御座います。


鎌倉にいても、実家にいても
海辺にいても、街にいても
喜びと幸福はいつも、自分の中に在る。

それは鎌倉や実家のどちらかを否定しているわけでも
海辺や街のどちらかを否定しているわけでもない。


根底には恐れがあって
その恐れを見つめていったら、まるで根拠のないものだった。笑


幸せを外側に求めたり
今は本当の自分じゃないと自己否定しているときは
なぜそう思うのか、じっくり向き合ってみるといいと思う。


思いがけないところに本当はもう要らない概念や感情が潜んでいるかもしれない。

気づいたときが、離れるときです。

気づいたときが、次への扉が開かれるときです。






あ、幸せを追い求める状態が好きで
飢餓感、不満足感の中で生きていくことを選ぶのであれば
それはそれで構わないと思います。
私は無理なのですごいな〜と思う。 笑