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湘南エリアでYOGAを伝えているriaのつれづれ

graduation

ワタクシ事ながら、3/1我が息子が無事高校を卒業いたしました。
感動的な卒業式だった中学校とは対照的に高校のは実に淡々としたもので
それでも列席した親達の目にはうっすらと涙。
子どもたちはにこにこと晴れやかな顔をしているのに何故親は泣けてしまうんだろう。
もちろん嬉し涙なのだけれど。

卒業した生徒達の中にはまだ受験が続いていたり合格発表待ちだったり、様々。
ウチの息子は幸いなことに第一志望ではなかったけれど大学に合格し、学びたい分野の勉強を深めることが出来る。それはとても幸福なことなんだなあと改めてしみじみ思った。
担任の先生方はどんな時も親身になって一緒に考えて下さった。良い先生方に出会えて息子も私も幸運だったと思う。本当にお世話になりました。どうもありがとうございます。
校長先生からの祝辞も、耐えて頑張って苦労した後には喜びがくる…という生徒達を元気づける内容だった。
引き続き頑張っている子どもたちに心強い言葉だったと思うが、同時に気をつけなければいけない考え方…概念だなとも思う。


「苦しみの後には幸せがくる」「頑張ったその先には幸福がある」
この言葉自体はとてもポジティブに見えるし聞こえる。が、「苦しみを味わわなければ幸せは来ない」「頑張らないと良い結果が得られない」という概念につながりはしないか。


本当にそうだろうか?
なんかもう、そういう世界から抜け出るタイミングなんじゃないか。


頑張ることは悪いことじゃない。私も頑張ることが好き。
クラスでも毎回言うことだけれど、頑張るひと、頑張ることが好きなひとは頑張り過ぎないことも必要。
そして100%楽しさと幸せを感じられる“頑張る”はとても良いと思う。


苦労をしないと、歯を食いしばって頑張らないと幸せを得られないっていうのは何だかもう古い概念だと私は感じる。そしてそれを自分以外の誰かに押し付けるのは呪い以外の何ものでもないと思う。
苦労や努力をして幸せになりたい人はそうしましょう。苦労や努力をするのが好きなんだから。辛い思いをするのが好きなんだから。
幸せなことに、自分(意識)が選んだ方向に物事は流れていく性質がある。


辛い思いや苦労の果てに得たそれは、自分に100%の幸福をもたらしているだろうか?



艱難辛苦を乗り越えたからこそ他人の辛さ悲しみを理解できるというのもどうかと思う。そういったことを経験しなくても、他人の辛さ悲しみをまるで自分のことのように思いやれる人はいるし、逆に経験していても他人の痛みを理解できない人もいる。
 
 
人によって価値観は様々だから
例えばその“苦労”や“努力”も周りからはそう見えたとしても、当の本人は“苦労”や“努力”をしているとは1mm足りとも思っていなかったりする。
だって好きなことをしているから。ワクワクしながらやっていることだから。それが幸せだから。
 
だからね、
毎日を楽しんで幸せになっていいんだよ。
一瞬一瞬を楽しんで幸せな人生を送ろう。
心の底から100%ワクワクして楽しめること、そこには必ず愛がある。
根底に100%の愛があるものは周りをも幸せにしていく。
 



概念のトラップに気をつけよう、
そしてそこから卒業しよう。

100%幸福になっていいのです。
そのために私たちは生まれて、生きている。