かじかんだ指先でピンと弾いたら、カリンカリンと気持ちいい金属音をたてて
空気の結晶が転がっていきそうな晩
稲田だった過去を知るひっそりとした住宅街を白い息と共に歩く。
ふと視線を映すと流れ星
出会ったときは高校生だった。
小学6年に兄の本棚で見つけた星新一の世界と似た部分を感じて没頭したものだ。
天体嗜好症、弥勒。
高校時代の私を魅了した作品たち。
「星のきらめく夜は私の星座」
当時はさらっと読み流していた一文がふと蘇るのはなぜなんだろう。。。
そんなこんな思いながら暗い夜道を歩いていると、何故だか幸福感に満たされた。
ああそうだった、幸せはいつだって自分の中に在る。
私たちはともすると、外側へ、外側へと意識を向け、そこに幸福を見つけようとする。
幸せは、外側に表れたそのカタチで決まるのではない。
三次元的世界に現れているのは、ただの結果に過ぎない。
そしてそれは、自分が生み出したカタチであり、必ず崩れ去るものである。
これさえあれば、幸せになれるのに…と思っている(意識的にしろ無意識にしろ)人は、
その意識下に「これがなければ幸せになれない」という概念を抱いている。
その根拠のない概念こそが、幸せになれない現実を自らに引き寄せているのだ。
幸せは、幸福は、いつだって自分の中に在るのだ。
時間という概念さえ、実は…
そんなことを思いながら感じながら歩く冬の夜でありました。
見上げると、見事なオリオン座、冬の大三角形。
いまこの瞬間にもエネルギーは陰へ、陰へと向っていく。
明日は、陰極まる冬至。
陰極まって、陽となる。